仏法の大海(だいかい)は信を能入とするという。能入とは、仏の教えの門に入り、仏道成就へと導く最良・最先の手がかりのことで、それが「信」。信ずることによってのみ仏道をきわめ入ることができると、仏説はあかす。信心肝要、信心為先である。
仏道に入るとは、信心の志とその実修によって成仏の大果をいただくことである。仏のすくいに預かる大安心の獲得である。そのための根本条件が信の一字である。
悟りの有無、この場合のさとりは仏教の理解度をさすが、世の常の知恵・才覚は、仏道に入るための必要条件ではない。いたずらな才能は、ややもすれば逆作用を生むから利根は不可。むしろ鈍根者は純信ゆえに一途で正しい見識をすなお・まっすぐにもつのであって、頼もしい。
信、信心、信じるとは、難しく考えると難しくなってしまう。素直に、純粋に、正しく信じることが大切である。
正しく信じているか否かの判断は、「感謝」と「懺悔(さんげ)」を感じているかによる。感謝も懺悔も感じることのない信は、正しくない信である。
逆に、正しい信心を持っていれば、その人の心は成仏することができるのである。
毎年、自殺者が約3万人いる。正しい信を持つことができれば、人間は強くなれる。人は皆、生かされている。生きていることから諦めれば、死ななくても大安心を得ることができる。
私も「生かされている感謝」を広く伝えていきたい。